南極へ行きました!

3丁目 M・F

~どうして?~

南極と聞いてタロとジロという樺太犬を思い出す人、高倉健主役で二頭の犬の生き残りを描いた「南極物語」、あるいは、そのリメイクのディズニー 映画を観た人、更には最近の南極料理人(堺雅人主演)を見た人。それぞれで年代が大きく分かれることでしょう。
 私が南極へ行ったきっかけは就職探しの結果でした。当時大学院を修了するところでしたが、指導教授の知り合いで国立極地研究所の教授が大学を 訪ねて、「助手を採用したいが候補はいるであろうか」、というのが事の発端でした。
北海道で漁獲されるスケトウダラの論文をまとめていたところで、いずれ就職先を見つけなければならない時でしたからすぐにその場で面接となりました。 ということで直ぐに採用となり以来極地研究所に37年間勤務し、4年前に退職しました。
南極は私の仕事の場所、長期出張先でした。南極に行きたくない、と言うと首になりかねない職場でした(当時は。今は違います!)。
就職した年に右も左も分からないまま、いきなりアルゼンチン南極観測隊の夏隊(夏期間だけ南極に滞在)に派遣され、その後退職までに 昭和基地へは夏隊で3回、越冬隊(基地に丸1年、往復にプラス約4ヶ月)に2回、その内の1回は観測隊長兼越冬隊長でした。
他に南極大陸には上陸しませんが南極海の海洋観測航海に参加し、また、最近は南極への観光クルーズの講師で2回参加しました。
 日本の南極観測は一時の中断があるものの、?1956年の第1次観測隊(当時は砕氷船「宗谷」)以降、第7次隊からの「ふじ」、第25次隊からの 「しらせ」、そして、第51次隊から二代目「しらせ」に引き継がれ、2016年は昭和基地で第57次観測隊が様々な越冬観測を継続しています。
南極観測隊の昭和基地への往復経路は砕氷船の変遷とともに変わってきましたが、「しらせ」は11月中旬に東京港晴海埠頭を出港し、下旬に オーストラリア・フリーマントル寄港、その後暴風圏を南下し、流氷帯・定着氷を砕氷して昭和基地には12月下旬に接岸します。
基地周辺には約2ヶ月滞在し、復路は3月中旬にシドニー寄港し、晴海埠頭に帰港するのは4月上旬です。南極観測隊員は日本とオーストラリアの 間を民間航空機で往復します。

~越冬隊の様子~

南極観測隊員の構成は観測や設営の計画により隊で異なりますが、大きく分けると夏隊と越冬隊に分かれます。
越冬隊は約30名程度ですが、大きくは観測・研究グループと設営グループに分かれます。夏隊員は約20名です。
観測隊員は3月に乗鞍高原で冬季訓練(雪中キャンプなど)、6月に主に座学となる夏季訓練を経て、観測に必要な物資を調達・梱包し、「しらせ」に積み込み南極に出かけます。
第33次南極観測隊の晴海埠頭出港(1991年11月14日)。当時は観測隊員も「しらせ」で日本を出発した。 「しらせ」の晴海出港を見送り、その後に空路オーストラリアへ向かい、フリーマントルで乗船します。
1月に昭和基地へ着くと、そこには越冬を終えようとしている前の越冬隊が待ち構えています。
それからの約2ヶ月はこれらの隊員とこれから越冬する隊員との間で様々な引継ぎや夏期間の建築作業等が続きます。
困ったことに、この時期は太陽が沈まない白夜であり、作業後に飲んでいると暗くならずに明るくなってしまいます。
昭和基地がある東オングル島と南極大陸の間にオングル海峡が横たわる。 昭和基地に接岸した「しらせ」。上空ではヘリコプターによる越冬物資輸送が行われる。 そして、2月1日は正式な越冬交代式となり、晴れて堂々と基地の運営が次の隊にバトンタッチとなり、夏季隊員宿舎の相部屋生活から昭和基地 居住棟の個室生活となります。一夜にしての国盗り物語です。
越冬隊の約半分は観測や研究担当、残り半分は生活の基盤となる設営担当で、発電機・雪上車などの機械隊員、医療、通信、調理、野外行動支援、 庶務担当隊員です。観測系は毎年定常的に観測する気象担当(気象庁から派遣)、電離層、地震、地磁気担当など、研究系は宙空、大気・雪氷、 地学、生物などの研究プロジェクト担当です。
越冬中の楽しみは何と言っても大家族団らんの食事です。しかし、すべての食料は日本とフリーマントルで購入したものです。
昭和基地は年に一回しか観測船が来ない“島流し”の越冬生活です。新鮮なものはもやしやカイワレ大根など現地で栽培が簡単な野菜と釣った魚です。 すべて持ち込んだ食料で一年間を食いつなぎ、飲みつながねばなりません。途中で不足しても買いに行くことが出来ません。私は2度の越冬とも 日本酒が10月頃に不足し、正月のお屠蘇が心配になりました。
 日本の夏至は南極の冬至で、6月末から約40日間は太陽が全く顔を見せない極夜です。この時期にはミッドウインター祭りを大いに楽しみながら 暗い時期を乗り越えます。これが過ぎると日に日に明るくなり、そのうちに「晴海埠頭からご赦免船が出たぞ」との知らせが舞い込みます。 そして次の観測隊へと交代します。
 越冬生活は一年間で昼と夜が一回あるようなものでしょうか?不思議ですがまた行きたいと思うようになるものです。

オーロラの乱舞の下、マイナス30度の中、露天風呂。
髪の毛はバリバリ、メガネは凍りつくなかで熱燗。

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