白岡人物伝「立川金禄」

白岡市文化財保護審議会委員 板垣時夫

地域が誇る仏師・彫刻家 立川金禄

四国、金刀比羅宮の随神像や千葉県成田山新勝寺の狛犬、昭和31年に日本仏教協会がネパール国王に贈呈した文殊菩薩像は篠津出身の仏師・ 彫刻家、立川金禄の作です。

金刀比羅宮の随神像

 立川金禄(本名は福治)は、明治42年に立川初五郎の次男として生まれ、家業は社寺建築の装飾や山車の彫り物などを施す宮彫師でした。
金禄の祖父音吉は篠津久伊豆神社の社殿彫刻や山車(いずれも市指定文化財)の彫刻を手掛けています。
音吉の長男が初五郎で彼も父の後を継ぎ宮彫りを業としていました。金禄は父初五郎のもとで手伝いと仕事の習得に励みました。

21歳の時「帝展」を見学、裸婦の彫刻などに接して以来、宮彫の平面性に限界を感じ、23歳の頃に彫刻家高村高昇へ弟子入り、腕を磨きました。 さらに、朝倉文男の「朝倉彫刻塑塾」にも参加して研鑽に励みました。

 制作は、仏像、神像、狛犬、欄間彫刻、レリーフ、絵画、ブロンズ像など多彩、なかでも金禄といえば『軍鶏』といわれるように、日展24回 入選のほとんどの作品が軍鶏でした。
なぜ「軍鶏」なのかは本人にしか知らないことでありますが近親者によると、金禄はかなり気性も激しく、その辺が軍鶏の雄姿と呼応したのであろうと。 また、当時の環境ではモデルを探すことは不可能、しかも戦時色が色濃くなる中で「軍鶏」の文字も性質も時代にあっていたと思われます。
金禄は仏師の家に生まれ、素晴らしい腕を持つ祖父の素質を受け継ぎ、あくまでもおとなしい性格で高ぶることはなかったとも言われています。
彼は「仏師は人の拝む像を作るのだから、常に心を清浄にしていなければならない」と久喜市大田袋の金刀比羅神社に40年間も月参り、また、 自分の作品を拝むときは「たとえ私の作品でも開眼のすんだ仏像はもう私のものではない」と。

作品はさいたま市大宮区の氷川神社の恵比寿・大黒像や岩槻区の慈恩寺の格天井、長野御嶽山の八大龍王など著名な社寺にも数多く収められています。
市内の代表的なものでは興善寺山門の四天王像・大黒天・涅槃像、安楽寺の不動三像・厨子、篠津小学校のブロンズ像「輝く未来」、篠津中学校に 「飛躍」の像があります。ぜひ、ご覧ください。
 金禄は昭和53年、70歳の時「紺綬褒章」、同59年には埼玉県「文化ともしび賞」を受賞しています。

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