筑後様まつり ~新井白石公の遺徳を偲んで~

浅井 嘉一

 新井白石公は、江戸時代野牛の領主、以前、自治会だよりでも紹介されました。
白石公が、堀を開削したり、飢饉に備えて“郷倉”を建てて対応したとのことです。
郷倉にはどんな穀物が保管されていたか、現在の防災倉庫とでもいえましょう?
当時から、地域住民のために食料の備蓄が行われていたとのことに感動です。
郷倉跡は、新白岡駅の北、久伊豆神社近く白石堀の脇にあります、当時一帯は、低湿地帯で度々洪水に見舞われ水利悪く良好な農地とは言えなかった ようです。
現在では美田の続く野牛地域は、新白岡7丁目から9丁目周辺のことです。
従五位下 筑後守
新井白石公の官位から「筑後様」と崇められ、命日は、5月19日とのことです。
白石公の偉業に感謝する気持ちを“祭”に託した住民の優しさが嬉しいですね。
観福寺には一幅の「肖像画」や貴重な直筆の「漢詩」が保存されてきました。
また近くの野牛久伊豆神社に掲げられている扁額に「久伊豆社」の文字があり、白石公が朝鮮通信使(外交使節団)応接役をの功績を顕すものとして 注目です。

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