白岡人物伝「新井白石」

白岡市文化財保護審議会委員 板垣時夫

白岡市は多くの優れた先人を輩出しています。今回から白岡市ゆかりの偉人を紹介してまいります。
一回目は、新白岡駅の西側に位置しています江戸時代「野牛村」の領主でありました新井白石です。
 新井白石は江戸時代に活躍した儒学者、政治家、詩人と多才な人物です。白石の父正斉(まさなり)は久留里藩(千葉県君津市) の藩士、白石は幼少の頃から賢かったので藩主土屋利直の膝下におかれ成長しました。
しかし、23歳のときに浪人となり、その後木下順庵に学び、古河藩主堀田正俊に仕えましたが、ここも間もなく辞して、 元禄6年(1693)甲府藩徳川綱豊に儒臣として仕えるようになりました。
 宝永6年(1709)に綱豊が六代将軍家宣となると、迎えられ幕府の重臣となり、野牛と比企郡で五百石を宛がわれ ました。また、正徳元年(1711)に朝鮮通信使が来朝した折に、白石が接待役を務め、功績があったとして五百石の加増が 行われました。
また、かねてから比企郡の領地を野牛村に換えることも許されて、野牛村一村で五百石を知行し、鎌倉郡下の五百石と合わせて、 千石の領主となりました。
 野牛には、新井白石ゆかりのものとして、白石公肖像画、久伊豆神社奉納扁額、直筆漢詩、郷倉跡、白石様掘などの文化財が大切に受け継がれて います。

白石公肖像画

この肖像画は新井白石五世の孫新井成しげ美よしが観福寺に納めたものです。
 写真提供:白岡市教育委員会
 所蔵:観福寺久伊豆神社奉納扁額
 野牛久伊豆神社の拝殿に掲げられている扁額「久伊豆社」の文字は朝鮮通信使の製述官であった季?(イヒョン)が揮豪したもので、これを白石が領民の鎮守 である久伊豆神社に奉納したものです。

新井白石直筆漢詩
 直筆の漢詩「贈北客」は野牛村の旧家に伝わるものです。
幼少期から漢詩に親しんで研鑽した白石の足跡をみることが出来ます。なお、以上の3点は10月に開館した生涯学習センター「こもれびの森」の 歴史資料展示室で見ることが出来ます。

郷倉跡と白石公報恩会

白石様堀

 郷倉とは天災などに備えて穀物を貯蔵する施設で、村民の生活の安定を図るために白石によって建てられたものです。
野牛では終戦まで白石を偲んで命日の5月19日に報恩供養「筑後様祭り」を行っていました。
報恩会では白石の肖像画を掲げて遺徳を讃えました。
今年の5月19日に「復活 筑後様祭り」として、観福寺を中心に催しが行われました。来年も5月中旬に行われますので、是非参加してみ てはいかがですか。

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