歴史散策と我々仲間の添付写真中の初めの数枚(花見酒、コスプレ女子、カラオケ)に関係があるかって、、? いつもとは違う写真をお見せするのは、いずれも我々シニアの健康増進に寄与していると思っているからです。これらは散策中及び帰宅までに撮った写真です。花見カラオケは言うに及ばずですが、コスプレ女子に積極的に話しかける気持ちが健康に繋がっていると勉強になりました。
さて、日曜日27名が参加した散策は開始説明中まではやや時雨模様でしたが、その後は曇り空、寒くも暑くもなく、特に城址公園はソメイヨシノが満開で絶好の散策日和でした。岩槻は奥大道とよばれる鎌倉街道の一つが元荒川を渡る地点にあり陸上海上交通の要所であり、室町時代鎌倉公方と対峙していた反対勢力扇谷上杉との境目で自然の要害である元荒川の後背湿地を利用して太田道灌が築城したところです。
途中ガイドさんから岩槻が大発展しそこなった三大話を聞き、日本の中心になっていたかも知れない過去をもつ場所だと知りました。その三大話とは、①徳川家康が拠点を江戸城にするか岩槻城にするかを思案したそうだが、海に面している江戸が発展に優位性があるとして岩槻が却下。②埼玉県庁の所在地として浦和と競合したが、地理的に発展性のある浦和に決定。③東北本線(宇都宮線)の敷設に際し岩槻経由の案があったが、住民が機関車の煙害を嫌ったため大宮経由となった、と。
今回、記憶に残った場所は、曹洞宗芳林寺にあった太田道灌の騎乗の銅像、郷土資料館の岩槻城の模型、ガイドさんから見せられた武州鉄道で走行中の機関車の写真、江戸時代に作られ現存する時の鐘、浄土宗浄源寺の枝垂れ桜、岩槻藩校の遷喬館、城址公園の桜などです。
次回は6月に加須騎西方面に歴史散策する予定です。催行1か月前頃に案内いたします。
(宇治田記)