塩屋埼灯台を訪ねて

 私の趣味はカメラ片手に色々なところに出かけて風景(山、海、街並み)や建物(城郭、神社仏閣)など主として動かないものを対象として見て回ることです。

少し変わったところでは、岬の先端に建つ灯台に興味を持って今までに本州の龍飛埼灯台(津軽半島)、犬吠埼灯台(銚子半島)、観音埼灯台(三浦半島)、禄剛埼灯台(能登半島)、潮岬灯台(紀伊半島)、出雲日御碕灯台(島根・日御碕)等を訪れていることでしょうか。

♪髪のみだれに~手をやれば~赤い蹴出しが~風に舞う~憎や恋しや~塩屋の岬~♪と美空ひばりさんが情感を込めて歌った「みだれ髪」の歌詞中の「塩屋の岬」とはどのような場所なのだろうか?と常々興味を持っていたところ、昨年11月に福島県いわき市小名浜へ行く機会がありましたので、平薄磯宿崎まで足を延ばし塩屋埼灯台を訪れました。

小名浜から15号線を経由し海岸に近い382号線(豊間四倉)を通り、切通し風になった山道を通り抜けたところで少し開けた海岸に出ました。

おみやげ屋さんの前の駐車場に車を停めましたが、若干風があり時刻も午後3時を過ぎて寒かったためでしょうか、車が2台程度、観光客も4~5名程度と閑散としていました。

車から出て少し歩いたところに「みだれ髪」の歌碑とひばりさんの遺影碑が建っていました。

観光客が歌碑の前に立っていましたので、♪春は二重に巻いた帯~三重に巻いても余る秋、暗や涯や~塩屋の岬~♪とひばりさんの歌声が流れていました。歌碑の場所から小高い岬の方を仰ぎ見ると白い灯台が聳え立っているのが見えました。

灯台への登り口まで行く途中に「喜びも悲しみも幾年月」(1957年・木下恵介監督の灯台守の映画)の記念碑が建っていました。小学生の頃に見た映画だったのですが、♪おいら岬の~灯台守は~妻と二人で~沖行く船の~♪の歌が蘇ってきました。

その脇を通り過ぎ木々で覆われた石段を数分登ったところで視界が開け、眼下に薄磯海岸が見え始め、さらに少し上ったところが岬の頂上で、灯台と見晴らし台に到着しました。

時刻が遅かったため灯台の中を見学できませんでした。少し薄日がさす中、見晴らし台から風で波立つ大海原を眺めながら、夜になればこの灯台が遠く沖合を行く船まで届くように光を照らしているのだなと思うと歌の心情がわかるような気がしました。

風が強くなってきたため見晴らし台で記念の自撮りをし、急いで階段を下り駐車場のあるおみやげ屋さんまで戻りました。

おみやげ屋さんのおかみさんは美空ひばり後援会に入っていたそうです。

そして、「歌碑が出来た後でひばりさんをお招きしたが、病気のため来られず、来られないまま亡くなってしまったこと」、「2011年3月11日の東日本大震災で、この海岸にも津波が押し寄せ被害があったこと」、「ひばりさんの歌碑や遺影碑は無事だったこと」、「津波が来た時に歌碑にしがみついて助かった人がいたこと」などの話を聞くことができました。

また一つ、灯台での思い出をいただいたところで帰途につきました。            2丁目 佐川 孝俊

コメント

  1. がんちゃん より:

    佐川さん、一人旅の良さが伝わってきます。私も犬吠埼灯台と観音崎灯台に行ったことがあります。懐かしいですね。

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