今年は新型コロナウィルス感染症のためガイドさんの活動が自治体からの指示により停止と再開が繰り返しています。また、地域によっても大幅な違いがあるようです。それで、元々の予定とは異なる散策先にして、秋晴れの10月31日、桶川宿の歴史散策に24名で行ってきました。この時期ですからマスク着用など十分に感染防止対策を講じてのことです。写真の時だけ一寸マスクをとってもらっていることを付け加えておきます。
桶川は大宮台地の上にある地域で水田には適さない土地柄です。それゆえ紅花(染料や化粧品の原料で明治後半に安価な海外品のため衰退)や良質の小麦の集散地として知られ全国各地から多くの商人が集まり、江戸から数えて6番目の宿場町として発展してきた街です。
江戸初期に、桶川は旗本の西尾氏の領地でありましたが、転封した後はずっと天領のままでした。江戸時代に入り形成された桶川宿は、中仙道宿場町の浦和宿より規模が大きく、大宮宿よりも少し大きい宿場町であったそうです。本陣が1軒、脇本陣2軒、旅篭36軒の宿場町で、戦争時空襲にも遭わなかったことから所々で昔の建物が残っています。散策はガイドさん達が配慮してくれ、小グループで分かれて行動したので説明も十分に聞くことが出来ました。例えば、稲荷神社にある紅花商人寄進の石灯篭の逸話(紅花は京都で染料にする。間に仲卸が存在していたのを直に商売しようとして訴訟になり勝訴した記念に寄進した)は、当時の商業紛争の一端を垣間見た思いです。
なお、桶川へはJRの高崎線で大宮駅から白岡へ来るのとほぼ同じ距離になります。面積も白岡市とほぼ同じですが、中山道沿いは古くから発展してきたこともあり7万4千人と白岡の5割増しの人口です。駅前には東武が運営するマインの商業ビルがあり白岡との違いを見せつけられました。
歴史散策クラブ 宇治田忠昭
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