草加宿歴史散策 (令和2年12月12日)~歴史散策クラブ~

歴史散策クラブは12月12日(土)に草加の街に行ってきました。コロナが心配されるなか27名がマスク着用などの対策を施し出発。草加宿は日光街道の千住に次ぐ2番目の宿場町です。徳川家康は1596年に奥州街道を定め、1602年に伝馬を義務づけた宿駅制度を設けました。当時の千住から越谷間は沼地が多く、草加宿はそれらを避けた迂回ルートである新道開発により1630年に開かれました。茅(草)などを刈って道を開いたというのが「草加」の名の起りともいわれています。

観光情報センターのガイドさん5名の引率で草加駅を出発し藤代家→本陣跡→氷川神社→おせん茶屋公園→東福寺→神明庵→神明宮→おせん公園→望桜→芭蕉像→草加松原の松並木などを散策しました。草加宿は2度の大火に襲われ今の街並みは最古のものでも明治3年大火以後のものだそうです。なお草加の名が全国に知られるようになったのは、名産「草加せんべい」の力が大きく俗説では日光街道の草加松原で、茶屋を出していた「おせんお婆さん」が客に出す団子が腐りやすいと嘆いたところ、それを聞いた客の武士が「団子を薄くのばし天日で乾かし、火で焼いてみなさい」と教え、それがいつしか宿場の名物となり、世間に広まったのだといわれています。「おせん公園」には「草加せんべい発祥の地」の碑も立っていました。

また草加は1689年奥州に向けて江戸深川を旅たった芭蕉はその日に草加宿にたどりつきましたが旅路の第一歩を踏み出す地でもあり、綾瀬川沿いに約1キロ半続く遊歩道には634本の松並木が続き「奥の細道」の冒頭の一節から名付けられた和風太鼓型の「百代橋」や「矢立橋」がかかり当時の日光街道の面影を伝えていました。当日は天気にも恵まれ3時間ほどの散策でしたが、草加の歴史と「奥の細道」の文学にふれる有意義な半日を過ごせました。

次回は来春ですが新型コロナ終息下での歴史散策を期待したいものです。

   (歴史散策クラブ 栗原征四郎)

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