粕壁宿史跡めぐりを6月14日(日)参加者20名で実施致しました。当日は.早朝からの雨模様にて.スタ-ト直後より大雨になり.途中雨宿りも兼ね春日部市文化会館で本日の史跡めぐりのポイントや春日部の市名が約40年前に粕壁より変更になったいきさつ等教えて頂きました。
私にとって春日部はクレヨンしんちゃん野原一家の春日部としか知らなく本日散策参画でより多く理解を深めました。
日本初の関東唯一の国立薬用植物栽培試験場が存在していた事実や粕壁宿が.近隣の宿(上尾宿対比)に比較して約4倍強の家屋数が有り.江戸日本橋から数えて4番目の宿場町で道標や街並みを確認出来ました。
古利根川の川添にて高瀬舟等物資の往来にて問屋街の大きな蔵が現存して当時の華やかしい活気が伺えました。公園橋(馬車駅)等維持できている点もありますが、残念なのは上喜蔵河岸跡の石積み等が重要な史跡であるにも拘らず保存もされず只風化に負かせている点が残念です。今後の保存の在り方を考慮願いたいものです。
日光街道に繋がる唯一の橋が新町橋で有った為外敵の防衛で橋を落としたら防御出来た事など興味深い説明を聞きました。
前述の春日部の市名変更についていろんな記述がある中で.当地の大きな寺院で真言宗智山派の最勝院で鎌倉時代末期の南北朝時代の南朝で活躍した武将の一人春日部重行公の塚が発見され、当地を統治していた事が由来とも伝えられています。そして関心深いのが寺院の御本尊が異色で黒色の千手観音立像でした。普段は公開されていない所本日特に拝観が許され.お参り出来ました。貴重でした。それと墓地や境内の中で多くのあじさいが見られました。普通のあじさいより葉形状が.柏の様な5つに割れており名称は.柏葉アジサイです。
他にも江戸時代の俳人.増田眠牛を弔う為の御堂山中観音堂を見学しました。今回全歩行距離3.4km、約3時間の見学散策コ-ス無事終了出来ました。後半は雨も上がり大変有意義な半日を過ごせました。
(歴史散策クラブ:北野健史)