お茶のみ談話室「ニュータウン開発秘話」

 寒さも峠を越したかと思われますが、北風の強い2月21日(火)の午後1時から総合地所白岡営業所長の藤嶋さんにお願いしてこのニュータウン開発から自治会にバトンタッチするまでの経緯を話してもらいました。
自治会が出来てからは我々も記憶があるが、それまではどうだったのか殆どの人が知らないことから予てよりお願いしていたものです。

講師の話を大雑把に纏めると、農業経営に先行き不安などがある農家から昭和42年頃に買収を始め、その後参入した競争相手に競り勝ち47年に50haの宅地開発のために県に申請した。ところが革新系の知事から県の人口の急膨張を避けるため待ったがかかった。
しかし、開発を諦めず道路などを整備していたら、今度は母体の安宅産業が石油ビジネスで失敗し倒産、同時期に買収を進めていて道路整備がされていたイトーピア幸手は伊藤忠が引き取ってくれたが、駅までの距離が遠く、道が狭かった当ニュータウン敷地の方は精算会社に残ってしまった。
住友銀行の強力なバックアップのもと事業が続けられ59年にやっと開発許可がおりるに至った。
駅までのアクセスの問題を解決するため循環バスなどを模索したがうまく行かない中で新駅の誘致を、線路を挟んだ60haの土地整理区域の立ち上げと政治力まで使って実現できた。

ニュータウン敷地及び区画整理区域の周りへの拡張性について聞くと、少数だが買収或は区画整理に反対する人もいて売買形態による土地の交換、農業水路の付け替えなどを通して現在の形が出来ているので周りの開発に手を付けられるのは何十年か先と思われると。

最後に講師が呟いていましたが、同社が使っていた建設会社、近年同社がその子会社になってしまったと。どの業界/会社でも長い歴史の中での大きな変化や再編の波が押し寄せているのだなと感じました。短い文章ではとても表現しきれない半世紀のビジネスでの紆余曲折、その経緯が理解でき面白い話でした。39名の参加を得て大盛況でした。
     (総務部 宇治田)

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