今回の散策は、埼玉県北部の中心熊谷市に22名で行ってきました。熊谷は、平家物語に出てくる熊谷次郎直実で有名です。
もう少し説明しますと、平安時代の終わり頃になると、熊谷地方には武蔵七党を中心とした多くの武士団が現れ、中でも熊谷次郎直実は、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』や、この時代の軍記物である『平家物語』中の一の谷の戦いにおいて平敦盛を討つ場面などで有名で、江戸時代になると歌舞伎や浄瑠璃の世界にも「熊谷陣屋」という演目で取り上げられるようになります。
熊谷は忍藩領にあり中山道の宿場町として栄えます。「熊谷町古絵図」には本陣や脇本陣、一般の庶民が泊まる旅籠や茶屋などの多くの店があり、熊谷宿が栄えていたことがわかります。江戸時代の中ごろには旅籠や茶店など合わせて380軒ほどの家数があり、江戸時代末頃には、たばこ屋、質屋、太物屋、造酒屋など多くの商店でにぎわい、3,200人を越える人口がありました。
明治16(1883)年には上野-熊谷間に鉄道が敷かれ、生糸などの多くの物資が遠く横浜港まで運ばれました。この鉄道開通により、熊谷の町は大いに発展しました。
散策は、駅前の熊谷次郎直実の銅像を見て、その館であった浄土宗の熊谷寺(ゆうこく寺と読む)、平安時代創建で界隈の総鎮守として栄えた高城神社、片倉工業(さいたま新都心のコクーンのオーナー)のシルク記念館などを見て、清流の星川で終戦直前の悲劇を聞き散策終了。その後は日本でも有数の桜の名所である荒川堤で、桜の花見、いやお酒とおしゃべりで大いに盛り上がり帰路につきました。
(歴史散策クラブ 宇治田忠昭)
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