イギリス紀行

イギリス紀行(1) 羽田~ヒースロー

イギリス紀行(1) 羽田~ヒースロー
 5月12日から20日まで9日間のイギリス旅行に行ってきました。旅行中に撮影したビデオと写真でいくつかの動画を作ってみたいと思っています。スタートは羽田空港からヒースロー空港まで。

旅行各社にいろいろなイギリスツアーがありますが、自由行動のあるものは少なく、しかも旅行代金も高いものが多いようです。ロンドンに住む息子夫婦に会うのも目的のひとつなのでロンドンでの自由行動の多い、リーズナブルなツアーをネットでようやく探しあてました。参加者は26名、夫婦の参加者は6組で、一人旅の男女が結構いました。もちろん女性の方が断然多い。

今回の旅行は羽田発着で、おまけに上野東京ラインが開通して品川まで直通で行けるのでとても便利でした。羽田国際空港の4階には「江戸小路」5階には「TOKYO POP TOWN」「展望デッキ」と出発までの時間を過ごせる施設もできています。

ANAの直行便で12時間半のフライト。チェックインはネットでもできるので座席も予約できましたが既に空席は少なく、一番後ろの席44Jと44Kにしました。
ボーイング777の座席は以前に比べて前後も少し広くなったようで、それぞれの座席に液晶画面があって映画や音楽を楽しめます。
離陸後2時間くらいしたら飲み物が提供されるのでビールを頼みました。その後しばらくして食事が提供されます。食事のときの飲み物には水割りを頼みましたが、私の好きなCHIVAS REGAL12でとても美味しくいただき、お代わりもしました。
食事が済めば機内も暗くなり、後は寝るしかないのでひたすら眠るように努めるだけ。11時40分発の飛行機ですが太陽を追いかけていくので外はいつまでも明るく、寝てる人が多く、窓を開けられないので外の景色はあまり見られません。
着陸の1時間半くらい前に二度目の食事がでましたが、今度の飲み物はカミさんの目が尖っていたので自粛してジュースと紅茶だけに。

ヒースロー空港からは直ぐにホテルに向かい、ロンドン市街の渋滞もあって着いたのが7時頃。息子夫婦がホテルで待っていて、日本から持ってきた食料や日用品などを渡して近くのレストランで食事することに。トルコ料理のお店で、一度は食べてみたかったシシカバブをようやく味わうことができました。
トルコ料理ということで少し特殊な味かと思っていましたが、ラム肉の串焼きでとても美味しくいただきました。こちらの料理は量が多く、前菜にオードブルを頼みましたがそれだけでお腹いっぱいになるくらいでした。デザートを食べられる別腹は残っていませんでした。

時差ぼけか?食事中も眠くて眠くて。早めに就寝し、翌日に備えました。

イギリス紀行(2) チェスター&ポントカサルテ

 2日目は朝8時にホテルを出発して300Kmあまり離れたチェスターにバスで移動しました。
前日12時間半も飛行機に揺られたばかりなので、皆さんバスの中では寝てる人が多かったようです。私は初めてのイギリス旅行に眠るのを惜しんで景色を眺めたり、写真やビデオを撮ったり、添乗員さんの説明を録音したり、大忙しでした。
高速道路ではバスの乗客もシートベルト着用が義務づけられていて、添乗員さんがしつこく注意を促していました。

イギリスの交通は左側通行で日本と同じです。というか、日本がイギリスの交通システムをモデルにしたとのこと。
交差点はラウンドアバウト方式(roundabut)で、環状の交差点を左折の車は左回りに4分の1周、直進の車は半周、右折の車は4分の3周して目的の方向に向かいます。ラウンドアバウトは信号がないので信号待ちがなく、車の流れがとてもスムーズですし、直進が出来ないので出合い頭の事故もありません。フランスでこれを見たときに「うまく考えたものだ」と思いましたが、日本もイギリスをモデルにしたのであれば、この方式も取り入れたらよかったのに。もちろん都会の交通量の多いところはラウンドアバウトではなくて信号機のある交差点になっていて、やはり大渋滞が発生しています。信号は縦に赤・黄・青となっていますが、日本と違うのは赤の後に黄色が点きます。
また、ほとんどの高速道路が無料だそうです。その分税金も高いのでしょうが、日本の高い高速料金からみればうらやましいかぎりです。

チェスターはイギリスで最も中世の風情を残す城塞都市で、一周3kmの城壁に囲まれ、黒い木組みに白壁のコントラストが美しい建物(The Rows ザ・ロウズ)の並ぶ町です。
折悪しく、ヴィクトリア女王の即位60周年(ダイヤモンド・ジュビリー)を記念してつくられた時計台のところが工事中で街の中を貫く城壁を歩くことができませんでした。時計台も直接見ることができず、幕に描かかれた絵が見えるだけ。

ポントカサルテ水道橋は1805年完成で、長さ307m、幅3.4m、深さ1.60m、高さ38mで、内部が空洞の石造りの橋脚19本に支えられています。ナローボートが水路の幅ぎりぎりを運行しているそうですが、残念ながら私たちのいる間には通りませんでした。谷川に降りられる道があったらしいのですが気づかず、橋を下から見上げることができなかったのが残念。
2009年に世界遺産に登録されたばかりですが、世界遺産には近くの高さ21m、全長220mのチャーク水道橋も含まれています。

この日はリバプール泊まりなので、この後リバプールに移動。

イギリス紀行(3) リバプール&湖水地方

 8時半頃にホテルを出発。
リバプールといえばビートルズ! ご他聞にもれずビートルズ関連の施設巡りに出かけましたが、朝早くなので開いてるところが少ないのと、午後には145Km離れた湖水地方に向かうのでキャバーンクラブ周辺だけの散策でした。ツアー仲間の新婚さんは物足りなかったようで、湖水地方の観光をパスしてリバプールに留まり、一日中ビートルズに浸ったとのこと。

リバプールは18世紀から19世紀にかけて海商都市として栄え、リバプールの中心街の一画アルバート・ドック(Albert Dock)には、当時レンガと鉄と石だけで造られた耐火倉庫が残されています。残念ながらアルバート・ドックには行きませんでしたが、ここにはテート・リバプール(近現代美術館)、マージーサイド海洋博物館 、ビートルズ・ストーリーなどがあり、世界遺産に登録されています。

リバプール大聖堂の設計者はSir Giles Glibert Scott(1880-1960)で、イギリスの有名な赤い電話ボックスも同じく彼の設計です。
イギリスでも公衆電話は少なくなって探すのに一苦労。折角電話ボックスを見つけても電話機は取り外してあったりします。設置してあるところでは観光客が一緒に写真を撮ってる場面を多く見かけました。

イギリスは山が少ないようです。バスで長時間走っても山らしい山は見当たらず、なだらかな丘ばかりが目につきます。湖水地方まできてようやく遠くの方に山が見えてきました。日本は小さな島国だと思っていましたが、イギリスの国土面積は日本の3分の2くらいです。しかし、山や森林が少ないので可住面積は日本の倍くらいとのことです。道理で羊や牛も広い牧草地でゆったり草を食んでいるんですね。湖水地方には広い牧草地の割りに羊や牛は少ないように見えましたが、それでも人口の4倍いるそうです。いかに人口密度が低いかですね。
イギリスの緯度は北海道と同じくらいですが、暖流の北大西洋海流の影響で温暖な気候らしいです。今は埼玉の1ヶ月前くらいの気候といえるのでは? 朝夕は冷えます。

昼食はイギリス名物のアフターヌーンティーでした。女性の皆さんは喜んでいたみたいですが、私にはイマイチでした。ビールには合わないので。

ピータラビットの生みの親ビアトリクス・ポターは湖水地方をこよなく愛した人です。ピーターラビットの莫大な印税で湖水地方に農場をいくつも買い、湖水地方特有の羊、ハードウィック種の保護、育成に尽力して品評会で数々の賞を獲得しました。尚、死後は農場や建物をナショナル・トラストに寄贈したそうです。
ナショナルトラスト運動は環境保護のために、重要な土地や建物を人が住んでいるまま買い上げて管理保全していくものです。湖水地方の3分の1がナショナルトラストの所有だそうです。

ウィンダミア湖では遊覧船でクルージング。船内には中国人の観光客がたくさん同席して賑やかでした。中国人はあたりかまわず大声で話すので、まるで喧嘩してるみたいです。ツアーに母娘で参加していた娘さんのほうが中国語ができるようで、中国人のおじさんと意気投合し、翌日のシェークスピアハウスでも出合ってお友達になったみたいです。

レークサイドでは55年ぶりに蒸気機関車に乗りました。「機関車トーマス」みたいな可愛い蒸気機関車です。

リバプールに連泊。明日はシェークスピアの里へ。

イギリス紀行(4) ストラトフォード・アポン・エイボン

 朝8時出発でリバプールから215Km離れたストラトフォード・アポン・エイボンへ移動。リバプールとロンドンの中間くらいに位置します。

ストラトフォードという地名はたくさんあるので、エイボン川沿いのという意味でストラトフォード・アポン・エイボンになっているらしいです。この町はシェークスピアの生誕の地としてあまりにも有名です。

「シェークスピアの生家」の入場料は大人14ポンド、我々は16名以上の団体でしかも65歳以上のシニア料金9ポンドで入場できました。というのも新婚さんと若い娘さんの3人を除いて、65歳未満のツアー仲間もにわかにシニアになったからです。

私は昼食を含めた自由時間があったので、シェークスピアのお墓のあるホーリー・トリニティ教会に行きました。
彼の妻の墓もあるとのことでしたが、まさか彼のお墓の隣だとは気づかず、スルーしてしまいました。あとでインターネットで調べて気づきました。
教会の裏はエイボン川がゆったりと流れており、向こう岸は広い野原で、静かな雰囲気の癒しの空間でした。
シェークスピアは1564年4月23日に誕生、1616年4月23日奇しくも誕生日と同じ日に死去しました。この日にはたくさんの花がたむけられ、教会全体が花の匂いに包まれるそうです。

今回のツアーでは旅行社からイヤホンが渡され、バスを降りたときの添乗員やガイドの案内や誘導を聞けるようになっていました。直線距離で50mくらい離れていても聞こえるので、常時添乗員やガイドの傍にいなくても案内や誘導を聞き漏らすことがないので安心でした。
ただ、写真やビデオを撮るのに夢中になっていると、意外に遠くへ行ってしまっていることがあり、はぐれそうになったことも。
ICレコーダーを持っていったのでバスの中の添乗員やガイドの案内は録音できましたが、イヤホンはモノラルだったので端子が合わず録音できませんでした。前もって分かっていればモノラル対応のコードを持っていって洩らさず録音できたのですが。

イギリス紀行(5) コッツウォルズ地方

 コッツウォルズ地方
コッツウォルズとは「羊のいる丘」という意味。ロンドンから約200Km。ライムストーン(石灰岩)で造られた蜂蜜色の家々の美しさに魅せられて観光客の絶えないところで、イギリス人のあこがれる、最もイギリスらしい田舎といわれる。
13~14世紀にはコッツウォルズ・ライオンと呼ばれる毛足の長い羊からとれる羊毛と高品質のウール製品で栄えたとのこと。産業革命後は衰退しましたが、今でも牧草地にはいたるところに、所有地の境界を示すドライストーンを使った長い石積みの壁が見られます。

バートン・オン・ザ・ウォーター
ウィンドラッシュ川(深さ10cm)が流れていて「コッツウォルズのベニス」と言われています。特に何があるという村ではないが、週末になると都会から安らぎを求めて遊びにくる人が多いそうです。
モデルヴィレッジは村全体をミニチュア化し、9分の1の縮尺で忠実に再現したものです。一見の価値あり。

バイブリー
バイブリーは、19世紀のイギリスの詩人でモダンデザインの父とも呼ばれる ウィリアム・モリス が、英国で最も美しい村と評したことでも知られる村。町中を流れる小さなコルン川は透明度が高く、水鳥がのんびりと浮かび、マスが泳いでいます。
アーリントン・ロウ(Arlington row)は14世紀に建てられ、当初は修道院のウール倉庫として使われていましたが、17世紀に織物工が住むコテージに改築されました。現在はナショナルトラストによって管理され、今も住居として使われています 
スワンホテルは1650年創業の歴史あるホテルでバイブリーのランドマーク。
付近には有料トイレ(20ペンス)しかないのですが、ツアー仲間は誰も使わなかったようです。添乗員さんお薦めの、スワンホテルのバーで飲み物を頼んでトイレを使ったほうがいいみたい。

イギリス紀行(6) オックスフォード&ストーンヘンジ

 オックスフォードでは中心街から街歩きでいくつかのカレッジを見ました。

オックスフォード大学とは数あるカレッジの総称であり、オックスフォード大学という名前の大学は存在しないとのことです。ちょっと複雑なシステムみたいで、各カレッジは独立性をもっており、正式には、オックスフォード大学卒というより○○カレッジの○○専攻卒とするべきとのこと。

クライスト・チャーチのグレートホール(学生食堂)はハリーポッターの映画撮影に使われたので観光客にも人気のスポットです。私たちは時間の都合で割愛。
「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルもクライスト・チャーチの出身で、数学の教授も勤めました。グレートホールに肖像画があり、壁のステンドグラスには「不思議の国のアリス」のうさぎなどのキャラクターも描かれてあるとか。

ストーンヘンジは謎の多い先史時代の遺跡です。何のために造られたのか? どうやって280Kmも離れたところから重さ何トンもある石を運んだか?
次の動画はその謎を解く鍵になるかもしれません。43分あまりと長いので、興味のある方は時間のあるときにご覧ください。

明日からロンドン観光。3連泊なのでロンドンに移動。

イギリス紀行(7) 大英博物館・衛兵交代式・テムズ川クルーズ

 大英博物館は約800万点の収蔵を誇り、常設展示だけでも15万点とのことで、一通り見学しようと思うと数日は必要になるでしょう。
イギリスでは博物館や美術館は全て無料になっています。子供たちや学生も本物をいつでも無料で見られるのですから幸せですね。

・ロゼッタ・ストーン
 エジプトのロゼッタで発見された石版。碑文は同じ内容のものが三つの言語で著されている。古代象形文字を解読する手がかりとなり、他のエジプト語の文書が続々と翻訳されることとなった。
・ラムセス2世 King Ramesses Ⅱ
 紀元前1270年頃の第9王朝のファラオ。巨像の上部が展示されている。
・人面有翼の巨大なライオン
 宮殿を魔物から守るため入り口に置かれていた。
・パルテノン神殿の彫刻群
 紀元前5世紀頃に造られた。騎手と信者の長い行列のフリーズが彫られている。
・パルテノン神殿の破風彫刻 
 紀元前5世紀頃に彫られたもの。一番左は太陽神ヘリオスの馬の頭部。一番右は月の女神セレネの戦車を引く馬の頭部。
・テーベ王朝の墓所の壁画
 テーベの第18王朝の官吏、ネバムンの墓所とされる。宴会を表しているようで、楽士や踊り子が描かれている。
・アッシリア宮殿の浮き彫り彫刻
 王の強さを示すためライオン狩りの様子が誇張されて描かれている。
・ミイラ
 初期には地面に穴を掘ってじかに埋葬された。死者の魂の住処として肉体を保存するためにミイラ作りが発達した。ネコのミイラは動物崇拝を示すもの。

バッキンガム宮殿の衛兵交代式を見るために周辺の道路は大渋滞。私たちのバスも時間に間に合いそうもなくて、近くで降りて歩きました。
ちょうど間に合って、勤務を終えた衛兵が退出するところでした。何時間も前から場所取りをして待っている観光客もいるらしい。

その後、国会議事堂の近くの船着場からテムズ川のクルーズへ。ロンドン塔のところで降りて、バスで中心街へ。中心街で少し待ち歩きをして、中華街で遅い昼食をとり解散となりました。後は自由行動なので、私たちは息子夫婦の住む家へ地下鉄で向かいました。19日午後3時の出発までロンドン市内観光を息子たちとするので、「オイスター」(日本のSUICAのようなプリペイドカード)を購入しました。5ポンドのデポジットを払うので、一日だけの観光でしたらトラベルカードのほうがお得です。
息子の家では刺身をご馳走になりましたが、それがこちらのスーパーで買うものより新鮮で美味しかった。
8時半頃にホテルに帰り着きました。

イギリス紀行(8) ロンドン塔&ナショナル・ギャラリー

 今日は9日間のツアーで唯一の雨。午後には晴れるとのことだが…
まず、ロンドン塔へ行くことにしました。息子がネットで予約をしてくれたので、チケットを買う長い行列に並ばなくてすんだ。
ウォータルー兵舎に収納されているクラウン・ジュエルは残念ながら撮影禁止でした。歴代の王冠の見学は上野動物園のパンダ舎のようにベルトコンベアーで遅滞なく進むようになっています。ここには十字架飾りの笏に嵌め込まれた530カラットの世界最大のカットダイアモンドもあります。

午後には天気も回復してきて、次はナショナル・ギャラリーの見学へ。
たくさんの名画の写真も撮りましたが、デジカメではうまく撮れなかったので、動画ではネット上のきれいな画像を使いました。ここも2、3時間ではとても見きれません。

レンタル自転車もありますが、返すときに駐輪場がいっぱいだと他の駐輪場へ持っていかなければならないので、周辺の地理に詳しくないと借りるのは無理かもしれません。

明日はウェストミンスター寺院を訪れ、午後3時にはホテル出発で帰国の途に。

イギリス紀行(9) ウェストミンスター寺院見学、そして帰国の途へ

 ウェストミンスター・ブリッジで息子たちと待ち合わせ。記念撮影をして、すぐ近くのウェストミンスター寺院の見学に行きました。
ここもネットで予約してあったので待たずにすんなり入れました。入り口で日本語ガイドのイヤホンを受け取って内部に進みますが、この先は残念ながら撮影禁止です。
行く先々でイヤホンの案内を聞くのですが、今ではほとんど忘れてしまいました。写真やビデオを撮れないので記憶を呼び覚ますきっかけがありません。
記憶に新しいところではウィリアム王子とキャサリンさんの結婚式もウェストミンスター寺院でしたし、故ダイアナ妃の国葬も特別にここで行われました。

その後は市内を散策。2階建てバスにも乗ってみました。コヴェント・ガーデン近くのパブで昼食。
出発の時間が近づいたのでホテルに戻りました。

イギリスは山が少なく平坦な土地だというのが印象です。また、町によって建物の外壁の素材が独特で、行く先々で楽しめました。
今回の旅行はビデオと写真で動画を作るために、後からも資料を調べたりしたので思い出深い旅となりました。
     吉川 彰

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