浅草散策 ~歴史散策クラブ~

 4月5日木曜日、1丁目在住小野さんが育った地であることから彼の企画により浅草に行ってきました。今年は桜の開花が早く例年満開の時期の5日には桜が散ってしまっていましたが、浅草寺界隈の歴史を堪能してまいりました。

若干浅草の歴史を紐解きますと、推古天皇の時代の628年にこの土地の漁師、檜前浜成・竹成兄弟が、隅田川で観音像を網で掬い上げ礼拝供養したのが浅草寺の始まりで現在坂東33観音札所の一つであります。また、漁師の兄弟と船長の三人を祭った浅草神社(三社祭りで有名)も隣接しています。
吾妻鏡には浅草の名が出てきて、古くから浅草寺の門前町として栄えていたことが分かります。更に、江戸湊や品川湊と並んで、武蔵国の代表的な港である浅草の港があり、江戸時代に浅草が発展したのは浅草御蔵(蔵前)に米蔵が設置され札差(米卸の株仲間)が活躍していたからと言われています。

以上が浅草の歴史の概要ですが、平日にも拘らず人の多いことには感心しました。雷門の前は特に人が多く、巨大な提灯をバックに絶えず写真のシャッター音が響いていました。因みにパナソニック(株)の創設者松下幸之助氏が病気で苦しんでいた時に浅草寺の住職に祈祷してもらい治ったから巨大な提灯も含め雷門の再建費用も寄付したようで、クラブ会員の岡田さんによると社名はパナソニックに変わったが、提灯に書かれている社名は今でも松下電器としているとのこと。また、雷門前で某女子大の歴史クラブの面々とも歴史散策で交流ができて良かったです。さらに、和服が多いと思い興味を持ったら、あれ!日本語ではない、外人さんです。でも外人が多いこと。久し振りの浅草もかなり変わっていました。散策後はいつもの酒と食事、楽しく談笑出来た一日でした。
     (歴史散策クラブ 宇治田忠昭)

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