歴史散策浦和 ~歴史散策クラブ~

多くの方は下車したことがあると思いますが、6月3日(日)に埼玉県庁所在地である浦和に行ってまいりました。

江戸時代は中仙道の宿場町で他の宿場町である大宮や岩槻と比べても変わりない町でしたが、今や県庁所在地であり、又文教都市として大いに発展し全国有数の町になっています。岩槻散策時にガイドの説明で、県庁誘致を争ったが、結局浦和に持って行かれたと聞きました。大宮散策では、江戸時代の宿場町としての大宮は何ら特色のある町ではなかったが、JR高崎線の開通が町の発展に大いに寄与したと。交通/流通革命や官庁/企業誘致に上手く乗れたか否で町の発展に大きく差がついたことはこれら良き事例であり、そう言ったことを歴史散策中に聞いてまいりました。

鉄道路線は、NHK番組の「ぶらタモリ」では先に完成していた高崎線から東北本線を伸ばすのに枝分かれのために2箇所(大宮と熊谷)比較で鉄橋の少ない大宮からの分岐となったと説明していましたが、実はもう一つの候補があったとのこと。北浦和から分岐し岩槻街道沿いに岩槻を経由して北上する案だったそうで、その案が先に外されたのは城下町住民が機関車の煙を煙たがったのも一因だったようです。

次に県庁ですが、明治4年に浦和(足立郡)/忍/岩槻(埼玉郡)が合併し埼玉県が成立します。県庁所在地が浦和なら足立県になっていたかもですが、県庁所在地は岩槻で県庁業務は浦和宿でありました。岩槻には県庁業務をする適当な建物が無かったとのことですが、やはり新政府の内務省役人は官軍の薩長派閥出身者が多い中、岩槻は賊軍である幕府の譜代大名城下ですから、内務省役人としては岩槻住民とは反りが合わず、やはり浦和を応援したのでしょう。県庁所在地も浦和に変わり、その後明治9年には埼玉県と入間県が合併し現在の埼玉県が成立したとのことです。

今回は宿や寺社仏閣もありましたが、埼玉各地の発展の経緯が良く分かり面白かったです。次回は、足利市を歴史散策しますので奮ってご参加ください。
(歴史散策クラブ:宇治田忠昭)

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